08 源平合戦から鎌倉幕府

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源平の争乱と鎌倉幕府 平15-本

1179年清盛は法皇を幽閉した。その事件後に清盛がとった行動を述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 清盛は奥州の藤原清衡を攻め滅ぼした。清盛は奥羽に行ってませんよ

② 清盛は、この事件で没収した所領に新補地頭を任命した。このころ清盛はいない

③ 清盛は、自身の拠点である福原への遷都を計画した。計画して実行したな

④ 清盛は、さかんに造寺、造仏を行い、法勝寺を造立した。白河天皇ですね

正解➡③

源平の戦い年表ワーク①

 

 

 

 

 

1167

2

平清盛後白河法皇】のもとで【太政大臣】に就任。

娘=徳子が【高倉】天皇の中宮に。孫の【安徳】天皇即位で権勢ふるう。

 

 

1177

11

鹿ヶ谷の陰謀平氏転覆計画が発覚首謀者は後白河の院近臣藤原成親・僧俊寬らで、ともに処刑される。

 

 

 

1179

 

後白河法皇、平家に対し、死後の所領没収などを繰り返す。こうした反平氏的な動きに対し、清盛は法皇の院政を停止し、法皇を鳥羽殿に幽閉する。

 

 

 

1180

 

平清盛、摂津国に大輪田泊修築を行う。この他安芸国に 音戸の瀬戸を開いた。

 

 

 大輪田泊と音戸の瀬戸は絶対!暗記事項。

1180

5

以仁王】が平家追討の

令旨】を出す。→〔1〕自身も〔源頼政〕と宇治で挙兵
→敗北
清盛は動揺して六波羅から摂津国〔福原〕に遷都
※ただし、年内に京都に還都

 

 

以仁王も絶対、源頼政も警戒。 

 

8

→諸国の源氏が呼応し、治承・寿永の乱と呼ばれる源平争乱へ★〔伊豆〕では源頼朝が挙兵
石橋山〕の戦いで平家に惨敗。頼朝、源氏ゆかりの鎌倉に入り、その後駿河国〔富士川〕の戦いで勝利。

 

 

 

 

 

 

1180

 

 

 

 

 

 

11

 

 

 

 

 

侍所】の設置初代別当(御家人:和田義盛)がなる。

 

9

★信濃木曽では〔源義仲〕が挙兵

 

 

 

1180

12

平重衡(清盛の子)、源氏方に加担する南都(東大寺・興福寺)を焼き討ち。

 八世紀に聖武天皇が鎮護国家の理想を込めて造営した東大寺と、藤原氏の氏寺である興福寺、奈良を代表する二つの巨大寺院の、重衡軍の放火による炎上焼亡。それは公家達にとってこの世の終わりを思わせる悪夢だった。大仏再建は醍醐寺の僧重源が担う。

 

 

 

 

1181

 

平清盛死去

 

 

 

 

 

倶利伽羅峠〕の戦い→義仲はこの勢いで入京、粗暴な行為多く、都での人心失う。

 

 

 

1183

一方、平家は〔安徳〕天皇を奉じて「都落ち」幼少の後白河法皇が、義仲に内密で頼朝と連絡をとる

1183

10

 

→頼朝の東国支配権を認める宣旨(〔寿永〕二年十月の宣旨)これにより東国…〔東海〕道と〔東山〕支配権。

北陸道は義仲 

1184

 

源頼範・義経、義仲を討つ

一の谷合戦

1184

10

一般政務を扱う〔公文所〕裁判事務を扱う〔問注所〕設置

1185

 

屋島の戦い

壇の浦】の戦い、平氏滅亡

 

 

 

 

2009センター本

治承・寿永の内乱に勝利した源頼朝は、鎌倉に幕府を開いた。頼朝と主従関係を結んだ武士(御家人)たちは、頼朝から守護や(a)地頭に任命された。
 (b)13世紀初期、将軍を補佐する立場にあった北条氏の政治的地位が上昇し、やがて幕府は、北条氏の指導のもと、朝廷との抗争に勝利し、その支配権を拡大した。この結果武士たちの勢力が強まると、各地で紛争が生じ、それらの解決をはかるために、幕府は裁判の基準となる法令を定めた。
 この法令は、制定の中心になった人物が、その趣旨を(c)「御成敗の躰(訴訟・裁判のあり方)を定めて、人の高下を論ぜず、偏頗なく裁定せられ候はん」と説明しているように。裁判の基準を明示し、公平な裁判が行われることを目的として定められた。

問1 下線部(a)に関連して、鎌倉時代の地頭について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1.地頭は全国の公領のみに置かれた。地頭は荘園と公領ごとに置かれた
2.地頭の権限は、大犯三ヵ条とよばれた。守護の権限が大犯三箇条
3.地頭の収益を保障するため、頼朝は新補率法を定めた。
4.地頭は、年貢徴収・納入や土地管理・治安維持に当たった。

正解

問2 下線部(b)に関連して、13世紀初期の政治史に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の1~4のうちから一つ選べ。
X 源頼家が将軍の地位を追われ、幽閉された。
Y 北条義時は、政所別当に加えて侍所別当を兼任した。
1.X-正 Y-正
2.X-正 Y-誤
3.X-誤 Y-正
4.X-誤 Y-誤

正解

問3 下線部(c)に関連して、この法令が定められた理由に関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の1~4のうちから一つ選べ
a 田畑の等級・面積を調査し、年貢収入を確保するために定められた。誤り
b 御家人同士や御家人と荘園領主などとの紛争解決のために定められた。正しい
c 守護・地頭の任務・権限を規定するために定められた。正しい
d 御家人所領の売買を禁止し、売却地を無償で取り戻させるために定められた。
1.a・c   2.a・d   3.b・c   4.b・d

正解3 御成敗式目だがここで答えておこう

守護・地頭の設置 1185 年

頼朝は後白河法皇から義経追討を命じられたことをきっかけに全国に守護・地頭を置いた。

守護・地頭、幕府財政基盤の正誤問題

    御家人を諸国の守護や荘園・公領の地頭とし、東国以外にも支配を広げた。正

    地頭は男子が相続するものであって、女性が地頭になることはなかった。女子にも相続権がKey

    地頭の権限は大犯三箇条と呼ばれた。正しい

    地頭は、年貢徴収・納入や土地管理・治安維持に当たった。正しい、これが地頭の仕事

    守護の職務は、大番催促、謀反・殺害人の逮捕など大犯三箇条に限られていた。この三つだけ

    鎌倉幕府の財政基盤には、将軍の知行国や荘園があった。正しい