センター6日露戦争
【2006-本】
a:明治政府は、成立直後から東アジアに向けて活発な外交を展開した。清国とは1871年に国交を結んだが、朝鮮との通交は容易に実現できなかった。そのため、1875年、日本は江華島事件を起こして朝鮮を開国させ、【 ア 】を締結した。
1894年、【 イ 】が起こると、朝鮮をめぐって対立していた日本と清国は、朝鮮に出兵し、b:日清戦争がはじまった。
問1 空欄に入る語句の組合せとして正しいものを、次から一つ選べ。
① ア 第1次日韓協約 イ 甲申事変
② ア 第1次日韓協約 イ 甲午農民戦争
③ ア 日朝修好条規 イ 甲申事変
④ ア 日朝修好条規 イ 甲午農民戦争
【ア】は江華島事件とある。第一次日韓協約は外交・財政顧問を置くことを要求したもの。【イ】は日清戦争直前に起こったもの。甲申事変は1884年。正解4
問2 下線部aに関連して、日清戦争以前の出来事として正しいものを、次から一つ選べ。
(1)旅順の関東都督府が改組され、関東庁が設置された。
(2)政府は、「臥薪嘗胆」を合言葉に軍備増強を進めた。
(3)政府は、琉球の島民が殺害された事件を理由に、台湾出兵を行った。
(4)朝鮮では、ロシアに接近する閔妃が殺害される事件が起こった。
➡正解3 1は1919年のこと。2と4は日清戦争の後。
問3 下線部bに関連して述べた文として誤っているものを、次から一つ選べ
(1)この戦争中、与謝野晶子が詩「君死にたまふこと勿れ」を発表した。
(2)この戦争の講和条約で、日本は2億両の賠償金を得ることになった。
(3)この戦争の結果、清国は朝鮮への宗主権を放棄し、その独立を認めた。
(4)この戦争が終わると、ヨーロッパ列強の中国進出が強まった。
正解は1 日露戦争の時。
●日露対立と中国分割
1895【三国干渉】➡【露】・仏・独が日本に遼東半島返還を要求➡受諾 ➾国内では【臥薪嘗胆】を合言葉に反露感情を高め、軍備拡張がすすむ 朝鮮情勢↓ 1895✖【閔妃殺害】事件➡朝鮮公使:三浦悟楼による謀略 1897【大韓帝国】成立➡朝鮮名から改める、親露政権へ 列強による中国分割進む➡ロシア・ドイツ・イギリス・フランスなど 1900✖【北清事変】➡「扶清滅洋」を唱える【義和団】の反乱 ➾清国政府が列国に宣戦日本を中心とする列国が鎮圧 ➾日本は「極東の憲兵」と呼ばれる 1901【北京議定書】➡北京郊外に列国の守備隊駐屯を認める |
●日露戦争➡ロシアが事実上満州を占領、日本にとって脅威となる
国内:伊藤博文らの満韓交換による権益の確保である【日露協商】論を主張 主戦論(多数派)=対露同志会・東大七博士 非戦論(少数派)=【平民社】(幸徳秋水・堺利彦)・【内村鑑三】 与謝野晶子「君死にたまうことなかれ」 |
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1902【日英同盟】の締結➡イギリスの力でロシアに対抗、桂太郎首相の強行方針 |
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1904✖【日露戦争】勃発…宣戦布告➡旅順陥落➡奉天会戦➡日本海海戦(司令長官=東郷平八郎、バルチック艦隊撃破)…戦局は日本に有利に展開するも継続困難(日露共)➡米大統領【セオドア=ローズヴェルト】の斡旋で講和 |
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1905【ポーツマス条約】 ➾外相【小村寿太郎】(第1次桂内閣)とロシア全権【ウィッテ】 ➾ロシアは韓国の指導権を認める 【旅順】・【大連】と長春以南の東清鉄道敷設権譲渡 北緯50度以南の樺太の割譲、カムチャッカの漁業権➾賠償金はなし |
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1905✖【日比谷焼打ち事件】…賠償金なしの講和条件への不満から暴動へ
●列強の中国分割
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