センター8 金融恐慌と山東出兵
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【近代11】年代順配列(2011年・本)昭和初期の経済。
1.浜口雄幸内閣によって金解禁が断行されたが,同じころ世界恐慌が日本にも波及した。
2.片岡直温蔵相の失言をきっかけに,金融恐慌が起こった。
3.関東大震災により,決済不能になったとみなされる震災手形が現れた。
【近代11解答】[3→2→1] 3第2次山本内閣は関東大震災の処理を進めたが震災手形問題が残存し,2第1次若槻内閣の片岡蔵相の失言により取り付け騒ぎがおこった(金融恐慌)。1浜口内閣は為替相場を安定させ,貿易振興をはかり,金解禁を断行した(1930)が,世界恐慌に巻き込まれた。
【例題2002本】
たびたび発生した恐慌について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 第一次世界大戦による好況が続いたあと、貿易は輸入超過に転じ、戦後恐慌が起きた。
② 関東大震災後には、震災手形の処理が懸案となった。
③ 一部の銀行の不健全な経営が判明したため、取付け騒ぎが続出し、金融恐慌が起きた。
④ 若槻内閣は、緊急勅令により、台湾銀行の救済に成功した。
正解➡➃
★先ずは内閣名を入れてみよう!✍それぞれの恐慌について原因と結果をおさえよう!
内閣 |
所属 |
経済 |
外交 |
原敬 |
立憲政友会 |
【戦後恐慌】1920 ヨーロッパの復興 ➡輸出超過へ |
ワシントン体制 ➡米英との協調を維持 |
第2次 山本権兵衛 |
海軍 |
【震災恐慌】1923 ➡【モラトリウム】発令 震災手形割引損失補償令 |
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加藤高明 |
憲政会 |
震災手形処理問題 |
日ソ基本条約1925 |
第1次 若槻礼次郎 |
憲政会 |
【金融恐慌】1927の発生 ➜【片岡直温】蔵相の失言 ➡取り付け騒ぎの発生 【鈴木商店】の倒産 ➡【台湾銀行】の経営危機 【枢密院】で否決され救済に失敗➡辞職 |
【北伐】1926~➡中国統一へ 協調外交➡外相 【幣原喜重郎】 ➡中国内政不干渉の方針、政友会などの批判 |
田中義一 |
立憲政友会 |
金融恐慌の沈静化 【モラトリアム】発令 日銀の救済融資 五大銀行に預金集中 三井・三菱・住友・安田・第一 ➡財閥の金融支配強化 |
強硬外交(田中外相兼任) 【山東出兵】1927~28 ➡北伐の阻止が目的 【済南事件】1928 ➡「対支政策綱領」決定 パリ不戦条約1928
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第1回普通選挙実施1928➡無産政党から8名当選 【治安維持法】改正1928➡最高刑が【死刑】に 特別高等警察(特高)の全国配置1928 ✖【三・一五】事件1928 ✖【四・一六】事件1929 ➡共産党員の大量検挙 |
【近代12】(2009年・本)軍縮の展開。
1.国策の手段としての戦争の放棄を約した不戦条約に調印した。
2.補助艦の総保有量(トン数)を英・米の約7割とすることに合意した。 3.主力艦保有量(トン数)を英・米の5分の3に制限することに合意した。
【近代12解答】[3→1→2]
3.高橋是清内閣の時,ワシントン海軍軍縮条約(1922)で主力艦の保有制限に合意した。
1.田中義一内閣の時,パリで不戦条約に調印した(1927)。
2.浜口雄幸内閣の時,ロンドン海軍軍縮条約(1930)で補助艦の保有制限に合意した。
【近代13】(2010年・本)政商の成長。
1.開拓使官有物払下げが批判を招き,中止された。
2.前蔵相と三井財閥の幹部が,血盟団員に殺害された。
3.三菱の岩崎弥太郎が,台湾出兵の際に軍事輸送を請け負った。
【近代13解答】[3→1→2]
3.岩崎弥太郎は明治初期の台湾出兵(1874)の軍事輸送で三菱の基礎を築いた。
1.開拓使長官黒田清隆の政商五代友厚への官有物払い下げが問題となり,明治十四年の政変につながった。
2.血盟団事件(1932は昭和初期で犬養毅内閣の時。
昭和恐慌と協調外交の挫折
●浜口雄幸内閣…立憲民政党(1927、憲政会と政友本党の合同)
経済の再建➡【井上準之助】蔵相、協調外交の復活➡【幣原喜重郎】外相 慢性不況の原因➡1917年より金輸出禁止が続く➡為替相場が不安定(円安) ➡国際競争力の不足➡輸入超過が続く |
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経済 |
井上財政➾【デフレ】政策 【緊縮財政】…物価の引き下げ、【産業合理化】…国際競争力の強化 【金輸出解禁(金解禁)】1930…為替相場の安定をはかる 旧平価(100円=49.85ドル)で解禁➡円高となる |
【昭和恐慌】の発生 原因…【世界恐慌】1929~アメリカより、金解禁で円高➡輸出は停滞 企業の操業短縮・倒産、失業者の増大 ➡【重要産業統制法】1931…不況カルテル結成の容認 農業恐慌 アメリカへの【生糸】輸出激減➡原料の繭価の下落・出稼ぎ女工の失業 ➡農家の収入減少 豊作貧乏1930…米価下落、東北・北海道の凶作1931 欠食児童や女子の身売りが続出 |
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外交 |
幣原外交…【協調外交】 日中関税協定1930…中国の関税自主権を認める 【ロンドン海軍軍縮条約】1930…全権【若槻礼次郎】 補助艦の保有制限➡米英に対して総括約7割(大型巡洋艦は6割) 政府は調印にふみ切り、批准にも成功する 【統帥権干犯問題】…海軍軍令部・立憲政友会・右翼は条約調印を批判 ➾浜口首相は右翼の青年に狙撃される1930➡第2次若槻礼次郎内閣 |
外交 |
幣原外交…【協調外交】 日中関税協定1930…中国の関税自主権を認める 【ロンドン海軍軍縮条約】1930…全権【若槻礼次郎】 補助艦の保有制限➡米英に対して総括約7割(大型巡洋艦は6割) 政府は調印にふみ切り、批准にも成功する 【統帥権干犯問題】…海軍軍令部・立憲政友会・右翼は条約調印を批判 ➾浜口首相は右翼の青年に狙撃される1930➡第2次若槻礼次郎内閣 |
★頻出マスター 協調外交と強硬外交
【協調外交】 1924~27 1929~31 |
【 幣原喜重郎 】外相(憲政会、立憲民政党内閣の外相)による国際協調路線 対【 中国 】➡ 内政不干渉 対【 英米 】➡協調路線 1925 日ソ基本条約調印(ソ連との国交を樹立) 1930 【 ロンドン海軍軍縮条約 】調印(補助艦の保有量を決める) ➡【 統帥権干犯 】問題起こる |
【強硬外交】 (積極外交) 1927~29 |
【 田中義一 】内閣(立憲政友会)による中国への強硬路線 対【 中国 】➡ 強硬路線 幣原外交を「軟弱外交」と批判 1927~28 3次にわたる➾ 山東出兵 1927 【 東方会議 】(満蒙の日本権益を実力で守る方針を決定) 1927 【 張作霖爆殺事件 】により、1929年に田中義一内閣は総辞職 対【 英米 】➡ 協調路線 1928 パリで不戦条約調印 |
【近代14】(2008年・本)軍部の台頭。 1.関東軍が,柳条湖で満鉄の線路を爆破した。 2.陸軍の青年将校らが,部隊を率いて政府要人や重要施設を襲撃した。 3.海軍の青年将校らが,犬養毅首相を射殺した。
【近代14解答】[1→3→2] 1.第2次若槻内閣(民政党)の時,柳条湖事件(1931)から満州事変が始まった。3.五・一五事件(1932)で犬養毅首相が暗殺されて,戦前の政党内閣は最後となった。2.岡田内閣の時,陸軍皇道派の青年将校らにより二・二六事件(1936)が起こった。
【近代15】(2009年・本) 1.日本軍が中国の南京を占領するに際して,捕虜や非戦闘員を殺害する事件が起きた。 2.中国東北部での日本軍の活動に対して国際連盟からリットン調査団が派遣された。 3.関東軍参謀河本大作らが,中国軍閥の一人である張作霖を,奉天郊外において爆殺した。
【近代15解答】[3→2→1] 3.田中義一内閣の時,張作霖爆殺事件が起こった(1928)。2.満州事変の際,中国の提訴により国際連盟はリットン調査団を派遣した。1.日中戦争の際に起こった南京大虐殺(1937)のこと。