赤で書かれているところが出題される箇所である。ここを理解すること!
第1章 人生における哲学
1 神話から哲学
神話(ミュトス)の時代
○ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」という神話
○ヘシオドス「神統記」
古代の人々は、世界の成り立ちを神々の仕業だと考えた。ギリシア神話に登場する神は擬人化された神である。キリスト教のような完全無欠の神でなく、人間と同じように怒りもすれば嫉妬もするような神だった。嵐や雨などは怒りなのである。
神話の時代はやがて自然哲学の時代へと移る。今まで世界の成り立ちを神の物語で説明していたのが変化したのだ!
それは何故か?ギリシアにおいて奴隷制が始まり、奴隷が仕事をする分、人々は暇(スコレー)になり、考えるようになったからなんだ。昔も今も暇な人は考える。
自然哲学
世界を成立させている根源(アルケー)は何だろうと考えた。これが自然哲学といわれるものである。
タレスは万物の根源は「水」であると考えた。土の中に種を埋めて発芽させるためには水をかけるよね。私もミニトマトを植えたけど水をやらないと枯れてしまう。それですね。
ヘラクレイトスは「火」
ピュタゴラスは「数」
デモクリトスは「原子」
などなど。
ソフィスト
次にソフィストたちの思想を見てみよう!
ソフィストって→弁論術の職業教師のこと、今なら予備校の講師ってとこかな。
自然哲学者たちには限界があった。世界の根源は水だ!といってもそれを証明するものがない。そこでソフィストたちはこう考えた。自然界に何か共通の法則を見出そうとしてもそれは不可能だ!そういう法則は人間が作り出していくものではないかと考えた。ソフィストのひとりプロタゴラスの有名な言葉がある。
「人間は万物の尺度である」
例えば
これは、物事の価値基準が一人ひとりの人間のとらえ方によって違うという相対主義的思考を表したものである。真理なんて人それぞれによって違うよ!と主張しているんだ。真理なんて無数にあるんだから、議論の内容でなく議論に勝つことが重要なんだ!
だから、彼らを弁論術の職業教師と呼ぶんだ!でもね、
「絶対的な真理なんかないんだから、そんなものは目指さなくていいんだ」となって、「真理を求める熱い気持ち」を失ってしまうよね。そもそも「絶対的な真理はないよね」と言ったって、やっぱり私達は「なんらかの正しさ」を見つけていかなくてはいけない。どう生きるべきか、どう死ぬべきか、なんのために働くのか、浪人生はどういう生き方をすべきか、そういうことを考えて生きていかなくてはいけない。
ソクラテス
この世に絶対的なものはない!として相対主義をとるソフィストに対して、やはり普遍的な価値は存在すると主張したのが、ソクラテスだ!
ソクラテスは、人は皆、魂(プシュケー)を持って生まれてくる。その魂の働きをよくするための徳(アレテー)を身につけることが大切だと説いた。
無知の知
彼は、「私は真理について何も知りません」と自らの無知をさらけだし、「だから、一緒にそれを考えようよ」と道行く人に話しかけたのである。
「本当に正しいこと、本当の善とは何か?偉い政治家たちは、それを知っているかのように雄弁に語っていたが、実は何もわかっていなかった。もちろん、私も全然わかっていない。じゃあ、そもそも、ホントウの善っていったい何だろう?」
ソクラテスは無知の自覚こそが真理への情熱を呼び起こすものだと考えていたのである。