2017 ⑵ 工場法
次の資料は,『東洋経済新報』第540号(1910年11月5日)に掲載された片山潜「工場法案を評す」の一部である(読みやすさを考慮して一部原文を改めてある)。これを読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問3まですべてで400字以内)
我国の工場法問題は,その具体的法案の初めて世間に発表せられてより既に十数年を経過せり。草案の発表せられたる当時,世間は多く尚早なりとしてこれに反対したりと雖〔いえども〕,これが起草者たる政府当局の精神は,ひたすら労働者の保護を主眼として邁進したるの概〔がい〕ありき。(中略)今翻って今回発表せられたる案の内容を見るに,頗〔すこぶ〕る吾人の意に満たざるものあり。他なし。⑴数次の修正を経る毎に法の精神は漸次埋没せられ,回を重ねるに従つて案は益々劣悪なるものとなり下るの観あること是〔これ〕なり。殊〔こと〕に今回の草案を見て吾輩の切に感ずるは,起草者の苦心の要点が法の根本目的たる労働者の保護にあらずして,却〔かえ〕つて⑵関係する工業者の便宜,利害を害せざらんことを是〔これ〕れ努め,彼らの気分を損はんことを是〔これ〕れ恐れ,ひたすら工業者の主張に迎合して戦々恐々として立案したるの跡,歴然たること是〔これ〕なり。
問1 1903年に発表され,工場法の必要を促したとされる農商務省による調査報告の名称とは何か。また,その内容について説明しなさい。
問2 片山潜が下線部⑴のように批判した工場法案の「劣悪」化は,その後も改善されることなく,翌1911年3月の議会で可決され,公布された。「劣悪」化などと批判を浴びた工場法は,どのような問題点をもっていたのか。その具体的な内容について説明しなさい。
問3 工場法は公布後も,法律の施行のために必要な予算が認められず,施行が1916年9月にずれ込むことになった。工場法は,職工徒弟条例案の段階から含めると立法が意図されてから施行されるまでに30年前後の長い時間を要したが,その第1の理由は,下線部⑵で指摘されている産業界の反発であった。とくに反発が大きかったのはどの産業か。また,その反発を政府が受け入れた理由を当時の産業構造の特徴から説明しなさい。
【解法のヒント】
問1 職工事情。内容について教科書には記載がないので調べる必要はある。工場を実地調査し、業種別に労働時間・休日・雇用関係・賃金などを記録したもので、のちの工場法の成立につながるものである。
問2
「12歳」「12時間」「15人」などの具体的数字は必要。
少年・女性の就業時間の限度を12時間とし、その深夜業を禁止した。適用範囲は15人以上を使用する工場に限られ、製糸業などに14時間労働、紡績業に期限付きで深夜業を認めていた。
教科書308㌻脚注❷参照
問3
軽工業部門のなかでも、特に繊維産業が近代日本の資本主義を牽引する力にとなったのは、輸出を通じて重要な外貨獲得産業だったことに触れる必要がある。
【解答例】
問1 職工事情
労働者保護の立法措置を図るために労働者の実態を把握した報告書で、紡績・製糸・織物などの主要産業部門を対象に、職工の人数や労働時間、賃金などの労働条件や、衛生面を含めた生活環境など、さまざまな角度から労働実態を調査したもの。
問2
12歳未満の就労禁止、12時間労働制、少年・少女の深夜業禁止などをうたったものの、適用範囲は常時15人以上使用する工場に限定したうえ、製糸業では14時間労働、紡績業では条件付きでの深夜業を認めるなど不徹底な内容であった。
問3
紡績業・製糸業など、繊維産業部門の経営者側からの反発が強かった。中国や朝鮮に向けての綿糸の輸出量が1897年に輸入量を上回り、1909年には綿布の輸出額が輸入額を超えたほか、同年にはアメリカ向けの生糸の輸出量が世界最大となるなど、近代資本主義が確立するなかで、繊維産業は政府にとって重要な外貨獲得産業として保護すべき対象となったからである。