解答例


2014 大阪大

【解法のヒント】

ポーツマス条約で賠償金とれなかった。不満→日比谷焼き打ち事件、その後の政府→第2次西園寺内閣、陸軍2個師団増設で総辞職。第3次桂内閣

 

【解答例】

ポーツマス条約で賠償金がとれなかったことに対する不満から日比谷焼き打ち事件が起こり、その後、2個師団増設問題で、陸軍によって西園寺内閣が総辞職に追い込まれ第3次桂内閣が成立すると、藩閥や軍部に対する国民の反発は暴動をともなう第一次護憲運動へと発展し、民衆の直接行動によって倒閣させられた。さらにジーメンス事件でも山本内閣が国民から批判され退陣した。こうした国民の権利意識の高まりと直接行動は、内閣の存続に大きな影響を与えるようになった。

 


【解答例】

琉球王国は薩摩藩の属領でありながら清にも朝貢する両属関係にあったが、政府はこれを日本領とする方針をとり、1872年に琉球藩