Ⅰ
問1
ア 土師 イ 宇津保 ウ 枕草子
問2
摂関政治の下、貴族たちは太政官を通じて政治を行った。先例や儀式が重視され年中行事が発達した一方、積極的な政策は停滞し貴族の序列も固定化した。
問3 b
問4
ケガレを極端に嫌い清浄さを追求するために、逆に、汚れやすいものを新品で使うという発想は、現在でも根強く残っている。その例が土器と箸である。割り箸を何で使うのか!人のは汚いのである。
Ⅱ
問1 源頼朝
問2 関東で挙兵し平家に反逆した源頼朝は、939年に乱を起こして新皇と称し関東を中心に朝廷に反逆した平将門になぞらえられ、同様に逆賊と評価された。
問3 慈円
問4 1180
問5 以仁王
問6 武田家 イ 今川家
問7 家臣の統制を目的に、理非を問わず抗争や境界紛争の当事者双方を処罰するということ。
問8 静岡県
問9 家臣が大名の許可を得ずに、領外勢力と私的に婚姻を結び関係を強めること。
問10 分国法
Ⅲ
問1 ポルトガル・スペイン
問2 幕府が禁止なさっている邪教キリスト教を信仰している国ですので
問3 異国船打払令
問4 1825
問5 徳川家斉
問6 薪水給与令
問7 徳川慶喜
問8 1853年ペリーが蒸気船で来航し、開国を求めた。
問9 孝明天皇
問10 王政復古
問11 摂関
問12 議定
問13 1867年
問14 鳥羽伏見の戦い
Ⅳ
問1 1889
問2
民選議院設立の建白書で民権派によって国会開設が求められ、政府は立憲政体樹立の詔で国会開設を展望した。民権派は国会期成同盟を結成するなど国会開設を更に求め、政府も国会開設の勅諭を出し10年後の国会開設を公約した。
問3 ア 東学 イ 伊藤博文 ウ 陸奥宗光
問4 エ 清浦 オ 憲政
問5 1924
問6
大日本帝国憲法の下で民衆の政治参加を認める民本主義や議院内閣制、普選を主張して憲政の常道を説いた政治学者で、大正デモクラシーを牽引した。
問7 カ 田中義一 キ 張作霖
問8
張作霖爆殺事件で満州への勢力伸長に失敗した関東軍は、柳条湖事件を契機に満州事変を起こして、満州国を建国した。さらに華北分離工作を公然と進める関東軍は、国民党との対立を深め、盧溝橋事件を機に日中戦争が勃発した。
問9 高橋是清
問10
1969年の佐藤栄作首相とニクソン大統領会談の結果、日米共同声明が出され、「核抜き・本土並み」での沖縄返還で合意し、1971年には沖縄返還協定が結ばれた。
問11
憲法によって天皇の政治行為は少なからず制約を受け、大正デモクラシー期には天皇が政治を主導することはなく、昭和憲法でも天皇は基本的に政治に関与しなかった。しかし張作霖爆殺事件や沖縄占領など天皇が個人的に関心のある問題に対しては、政治的意向を示すことで強い影響を与えた。近代の天皇は、制度に定められた通りの立憲君主としてふるまったものの、時には実際に政治に介入し強力な権力を行使したといえる。