足利義満は朝廷の機能や権威をどのように吸収し、公家の一元化を図ったか説明せよ。一橋大予想問題2012(Ⅰ)駿台予備校
Ⅰ 次の文章を読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問4まですべて400字以内)
中世社会は武家が政権を担いはじめた時代でもあるが、その一方で古代以来政権の中枢にあった朝廷もなお強大な権力を保持していた。本格的な武家政権である鎌倉幕府が東国に誕生したことで、西国を基盤とする朝廷との間に二元的な支配体制が生じた。しかし、(1)承久の乱後に幕府と朝廷の関係は大きく変化し、一方の朝廷でも幕府の意向をふまえて制度改革が行われるようになった。やがて、(2)足利義満のもとで武家主導による公家政権との一体化が図られたことにより、二元的支配は終りを告げることとなった。
その後の朝廷は、政治において主導権を発揮することはなかったが、伝統的権威として武家政権を支える役割を果たした。中でも(3)豊臣秀吉は、天皇の有した伝統的権威を巧みに利用することで統一事業を進めていった。一方、江戸幕府は、朝廷が自ら権力を行使することがないように(4)朝廷を厳しく統制し、大名統制にためにその伝統的権威を利用した。