講和以降の外交と政治


【解法のヒント】

問1

主題:1951年当時、日本社会党の内部でサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約をめぐってどのような議論が繰り広げられたかを問う問題である。昨年、衆議院議員選挙で自民党と革新勢力が護憲をキーワードに論戦を繰り広げたが、自民党の太閤勢力が、何を訴えているのかも準備しておきたい。

→サンフランシスコ平和条約がどのような性格をもっているのか!を示したい。全ての交戦国を対象としない、西側陣営の諸国のみとの講和、つまり単独講和であったこと。ここを明確に書きたい。

それに対し社会党右派が、占領下の日本がアメリカの政策に左右されてきたという現実に依拠し、単独講和を受け入れる態度をとる一方、社会党左派は、日本国憲法に掲げられた非武装・平和主義の理念のもと、全ての交戦国を対象とした全面講和を主張した。

問2

主題:1955年前後における「冷戦」に抗する勢力」の世界的な台頭について説明すること。

「アジア・アフリカの新興独立国家を中心として」との説明が伏せられているので、アジア・アフリカ会議を思い浮かべることができる。アジア・アフリカ会議の開催に至る国際情勢。同会議の内容を説明すればよい。

問3

主題:サンフランシスコ平和条約締結以降、1970年代前半にいたるまでの時期における日本と中国との国交関係である。

サンフランシスコ講和会議では、中華人民共和国と中華民国は双方とも招致されなかった。