44 経済の発展
■流通機構 米が生産者から消費者にわたるまで
蔵米はどのように取引されたのか!
蔵米はまず、堂島米市場に集められ、入札の権利を持つ米仲買人の競争で、値がつけられます。
1蔵物:諸藩から集まる年貢米
2納屋物:民間で取引される商品
3蔵元:蔵物の出納・売却商人
4掛屋:代金の保管・送付商人
5仲買:問屋から小売への仲買商人
6二十四組問屋
大坂の荷積問屋の仲間
6 運上・冥加:株仲間からの営業税
☈大坂に全国の米が集まったワケ
堂島米市場があることが一番、そこに米を高値で買ってくれる商人が大勢いたこと。
7札差:旗本・御家人の蔵米受取・売却商人
8十組問屋:江戸の荷受問屋の仲間
☈ 札差について
武士のふところ具合が苦しくなったのは、将軍のお膝元の旗本・御家人といえども例外ではなかった。それどころか、巨大な消費都市江戸に生活しているだけに、深刻になるスピードもいっそう早かった。知行取はその知行地の年貢をあげたりして、まだやりくり算段もいくらかつくが、決まった俸禄しかない蔵米取の頼みの綱は「札差」だけということになる。蔵米取は浅草にあった幕府の米蔵からきまった時期に禄米をもらうのだが、その米蔵の前に発生したのが「札差」という商人で、彼らが旗本の金融をやってくれたわけだ。旗本・御家人は蔵米を春夏冬の三季にわけて受け取るわけだが、ときに米や一部を金で渡すこともあった。しかし米の価格は大坂の堂島の相場が有力になってくるのである。
とにかく、武士が江戸や城下町などの都市に住んで、禄米を金にかえて生活しなければならなくなったとき、すでに彼らの運命はきまったといえる。米相場の上げ下げは商人の手中にある。武士はいつも米の値段の安いときに手放さねばならないように、うまく米商人どもにシテやられた。武士が困ってくると、彼らは年貢の税率をあげて、農民からますます搾りとろうとする。また一方では、貨幣経済の農村への浸透が農民層を分解させて、少数の富農ができるかわり、たくさんの貧しい農民が生まれるのだ。
『幕末の動乱』松本清張著
☆…旗本・御家人の蔵米の受け取り・売却 金融
C.その他 行商人の活躍ex.近江商人、富山の薬売り
市場の繁栄大坂:堂島米市場、雑喉魚市場、天満青物市場
江戸:日本橋魚市場、神田青果市場
論述研究
江戸時代における米の商品化 東大1995 第3問
近世の大坂は、全国最大の米の集積地であった。とりわけ17世紀の
B.両替商の活躍…三貨間の両替・秤量、預金・貸付・為替、公金の出納
要因:銀貨は秤量貨幣 金(東日本)・銀(西日本)の相場変動
☈東日本の金遣い西日本の銀遣い
江戸では取引や決済に金貨、京・大坂では銀貨を使っていた。金遣い・銀遣い(金建て・銀建て)という。この理由は、鉱山開発にあり、西日本では銀を多く産出していたため、銀遣いの慣行があった。東日本では、東北地方の金山開発にともなって、江戸幕府が金貨本位策を採ったためである
種別:本両替…金銀の交換 蔵元・掛屋を兼業
十人両替大坂の本両替から進出
ex.大坂の鴻池・三都の三井
銭両替(銭屋)…金銀と銭との交換 庶民対象
■豪商の登場
初期…材木商・などで巨利、早く没落
ex.紀伊国屋文左衛門(江戸)、材木商…紀伊熊野みかん
奈良屋左衛門(江戸)➡材木(日光東照宮で巨利 豪遊
淀屋辰五郎(大坂)…蔵元 慶應
➥贅沢を理由に財産没収(大名の救済ともいう)
中期以降 →近代の財閥へ
ex.・三井家(松坂)…呉服店、両替商、大名貸 創業者三井高利
➥・ 越後屋…「現金掛値なし」の新商法 →現在の三越
・住友家(大坂)…屋号は泉屋 両替商、蔵元、別子銅山
・ 鴻池家(大坂)…酒造(伊丹)、海運、両替、大名貸、掛屋、新田開発
☈財閥
三井系の百貨店に、三越があります。三井のスタートは、伊勢松坂の三井高利の越後屋呉服店です。三井の越後屋が短縮されて「三越」です。この三井高利をモデルとした町人のサクセスストーリー、井原西鶴が著した浮世草子の町人物の代表作が『日本永代蔵』です。借金取りに追われる内容の『世間胸算用』と間違えないでください。三井の越後屋から、やがて本両替・三井ができ、三井銀行、三井財閥となります。
それにしても日本は、この系列が強烈ですね。三菱系の食料品分野にキリンビールがありますが、たとえば業者が取引先にビールを贈るにしても接待でふるまうにしても、先方が三菱関連の企業(例えば三菱自動車や三菱商事)であれば、すべて100パーセント、キリンビールでないとまずいでしょうね。「スーパードライ」が好みだからといって、絶対に贈りません。系列の結束は固い。
戦後の経済を見ていくと、三井・三菱・住友・富士・三和・第一(のち第一勧銀)の六大銀行が、系列企業への融資を通じて六大企業集団を形成していきます。三和銀行は江戸時代の本両替・大坂の鴻池から興っています。芙蓉系と呼ばれる富士の系列は旧安田銀行です。本両替とは、為替業務や大名に対する大口の貸し付けなどをおこなう両替商で、江戸時代の事実上の銀行です。最近は合併の連続で名称が変化し混乱してしまいますが…。
『戦後史をよみなおす』 福井紳一著 54㌻
☵論述研究 江戸時代の貨幣制度 一橋大 2002第1問
問3 宋銭や明銭の使途・機能について説明せよ。
問4 徳川幕府が整備した貨幣制度の特徴を説明せよ。
3商品の交換手段として機能しただけでなく,年貢の代銭納のように支払手段として,また蓄財や貸付のための手段としても使われた。
4貨幣鋳造権を独占する江戸幕府のもと,規格の統一された三貨が全国的に通用した。しかし,江戸の金遣い・上方の銀遣いと地域的な相違があったうえ,金貨・銭貨は計数貨幣,銀貨は秤量貨幣であり,三貨に共通する貨幣単位も存在せず,統一的な貨幣制度は整備されなかった。