寛政の改革


松平定信の政治改革 11代将軍家斉の老中に就任(白河藩主)
田沼政治の否定、享保の改革を範とする。
 吉宗を手本とした政治改革を実行する。「工商盛んにして士農衰える」とし、その理由は金と穀物の流れを商工に握られているからとした。再び農業に立脚した政治に戻そうとしたのである。定信が信奉していた朱子学では、商業は卑しく、農業は尊いとしていたのもその理由である。
 田沼政権と結びついていた特権的専売機関をなくすこととし、1787年、 人参座、鉄座、真鍮座を解散させる。一部の株仲間も解散。  
 

①江戸における下層民対策

これは天明の大飢饉により食べれなくなった農民は、都市へと出て行ったため都市の人口は増え、治安は悪化していった。そこで、定信は農村復興策を企てる。

旧里帰農令である。都市に流入した農民を地元に返す必要がある。