17 社会の変動・鎌倉期の農業・経済
琉球とアイヌの動き
琉球に弥生文化はなく、貝塚文化である。12世紀頃、農耕生活が始まり、それからグスクが形成された。グスクの指導者である按司が成長すると次第に城が形成されるようになった。
続縄文文化
北海道では続縄文文化に続いて弥生はなく、7世紀以降は、擦文文化・オホーツク文化が誕生、これも狩猟・漁労に基礎を置く文化である。擦文文化がセンターで出題、正答率低かった。14世紀には
十三湊を根拠地とする安藤氏が交易を行っていた。十三湊を地図で確認。
社会の変動
二毛作
麦を裏作として畿内・西日本一帯で普及がセンターで出た。
多収穫米である大唐米も輸入された。
肥料
肥料には草を刈って田に敷きこむ刈敷や草木を焼いて灰にした草木灰を利用した。草は刈って放っておいても肥料になるよ。
鉄製農具
鉄製の農具や牛馬を利用した牛馬耕が盛んになった。その様子が「松崎天神絵巻」に出ている。
荏胡麻
灯油の原料として荏胡麻が、染料として藍が栽培、紙の原料として楮が、麻布の苧で決まり。
鍛治・鋳物師(いもじ)・紺屋。
三斎市
応仁の乱後の六斎市との比較が出る。定期市をあらわす史料として『一遍聖人絵伝』が頻出。備前国福岡市の様子が描かれている。正確に記憶せよ。右の絵である。
鎌倉時代➡教科書110㌻、「この時代の京都・奈良等では、高級品を扱う手工業者や商人が集まり、定期市のほかに常設の小売店=見世棚も出現した。常設の店舗である。
室町時代➡京都などの大都市では見世棚(店棚)をかまえた常設の小売店とあるから、小売店の見世棚の意味である。鎌倉との違いをしっかり区別。
座
平安時代後期から大寺社や天皇家に属して販売や製造について特権を与えられていた畿内の商工業者が結成した同業者団体が座である。座には本所があり、本所に座役を納めることで特権を得ていた。本所が天皇家である者は➡供御人、本所が神社である者は➡神人、本所が寺の場合➡寄人といわれる。
座については室町期の出題が多い。
問丸
鎌倉期は、商品の保管や運送を請け負い、取引を仲介する問丸が現れ、遠隔地間の商品取引に活躍した。室町期になると問丸は卸売商に専業化し問屋に成長する。ここも室町との比較が大事。金銭の輸送を手形で代用する為替が使われた。
流通・取引の拡大にともなって地方にも貨幣が普及し、その貸付をおこなう借上があらわれた。質物保管のため防火施設を備えていたことに由来する土倉という金融業者が出現した。借上は鎌倉後期から室町時代には土倉といわれることに注意。頼母子の読み➡たのもし、も同志社大で出た。
☶史料研究 紀伊国阿氐河荘民の訴状 ( 高野山文書 )
阿氐河ノ上村百姓ラツツシテ言上
一、ヲンサイモクノコト(意味=御材木を納めることが遅れていることにつきましては)、アルイワ チトウ ノキヤウシヤウ(キヤウシヤウとは大番役のこと。意味=材木地頭の湯浅氏が京へ上るといい)アルイワチカフトマウシ、カクノコトクノ人フヲ、チトウノカタエセメツカワレ候ヘハ、テマヒマ候ワス候(意味=全く暇がありません)ソノノコリ、ワツカニモレノコリテ候人フヲ、サイモクノヤマイタシエ、イテタテ候エハ(意味=たまたま残ったわずかの百姓の畑の麦をまけ)テウマウノアトノムキマケト候テ、ヲイモトシ候イヌ(意味=無理矢理山から戻しています)ヲレラカコノムキマカヌモノナラ▣ハ(お前らがもし麦を蒔かないのなら)メコトモヲヲイコメ、ミミヲキリ、ハナヲソキ、カミヲキリテ、アマニナシテ、ナワホタシヲウチテ(意味=縄や紐で縛って)サエナマント候ウテ、セメセンカウ(意味=せっかんする)セラレ候アイタ、ヲンサイモクイヨイヨ、ヲソナワリ候イヌ、ソノウエ百姓ノサイケイチウ、チトウトノエコホチトリ候イヌ。…
問題
「チトウ」を漢字に直すと地頭である。(筑波大)
この荘園の本所は円満院門跡、領家は京都白川の寂楽寺、地頭は湯浅宗親である。
荘民が訴えた先は幕府ではなく荘園領主である。阿氐河が現在の和歌山県であることも注意。
幕府の衰退
史料研究 永仁の徳政令 (東寺百合文書)
一、質券売買地(=質流れになった土地)の書
所領を以て或は質券に入れ流し、或いは売買せしむるの条、【御家人】等侘{たてい}(意味=困窮)の基{もとい}なり、向後{きょうご}に於ては停止に従ふべし。以前の沽却{こきゃく}(意味=売却)の分に至りては、本主領掌(意味=領有して支配すること)せしむべし。…或は知行【廿箇】年を過ぐるは、公私の領を論ぜず、今更相違有るべからず。…次に【非御家人】・凡下の輩(意味=一般庶民、借上)の質券買得地の事、年紀(意味=取得時効二十年)を過ぐると雖も、売主知行せしむべし。
Q1. 侘の基を三つあげよ。(聖心女子)これは絶対的暗記事項!
分割相続による所領の細分化、 元寇による恩賞不十分、貨幣経済の発展に巻き込まれた
Q2.本主とは売った元の所有者である。
Q3.凡下の輩とは庶民である。
Q4年紀とは20年の年限である。
Q5.御家人・本主・凡下・年紀は空欄補充で出題あり。要チェック。
永仁の徳政令の内容
➀御家人の所領の質入れ・売却を禁止した。
➁御家人が関係する金銭貸借をうけつけない。
➂越訴(=再審請求)の禁止
➃売却した土地を無償で取り戻すことができる。
※御家人相手の場合 :売却後20年以内無償返却
※非御家人・凡下の場合:無制限で無償返却
効果は一時的なものであったため、➀➁➂は翌年廃止。
御家人の侘の基
➀元寇に対する恩賞が不十分
➁分割相続による所領の細分化
➂貨幣経済の発展に巻き込まれた
社会の変化と動揺
惣領制の変質➡分割相続から嫡子単独相続への変化
一期分(死後返却)から無相続へ まず女子さらに庶子へ
血縁重視から地縁重視へ➡分家の独立傾向
➡悪党の蜂起 悪い党ではない。社会の中で漂白する浮浪する輩 楠木正成もその一人
☲入試の極意 鎌倉と室町の比較で学ぶ経済と社会
鎌倉 室町
☆ 農業…二毛作開始(畿内・西国)裏作は麦⇔三毛作開始、二毛作普及。
裏作➡麦、そば
牛馬耕の進展(←『松崎天神縁起絵巻』)
☆ 肥料…刈敷、草木灰 ⇒ 刈敷、草木灰、下肥
☆ 定期市… 三斎市 (月3回) ⇔ 六斎市(応仁の乱後)
※備前国福岡市(岡山県)(←『一遍上人絵伝』)は絶対!
☆ 常設店…見世棚登場 ⇒見世棚増加
☆ 交通要地…問丸=貸倉庫、委託販売 ⇔問屋=卸売
☆ 陸上運送 ➡馬借、車借
(近江坂本の馬借一揆→正長の土一揆)
☆ 金融業者… 借上 ⇔土倉、酒屋
(高利貸し)
☆ 貨幣…宋銭 ⇔ 明銭(永楽通宝)
☆ 遠隔地の決済…為替 ⇒ 為替普及