1 国衙
2 荘官としてふさわしいものはどれか?
預所・下司・公文と答えたい。わからなかったら以下の文を読もう!
●「寄進」時点と「寄進」後の開発領主と有力者の関係の変化
・寄進した時点
【有力者】
↑ ↓
名義を寄進↑ ↓徴税圧力を弱めるのを助ける
↑ ↓
【開発領主】
・寄進後、有力者は「荘園領主(=〔1領家〕」に、
開発領主は、「〔2荘官〕(=預所、公文・下司など)」となります。
3 郡・郷などを再編して生まれたものは何か?
選択肢は、区・組・保・社・結、もう正解は👉保ですね!
授業プリントでは次のように説明しています。
一方で各国国衙では、開発領主らに対し国衙領などの公領を郡・郷・保といいう単位に再編成した上で、開発領主らを郡司・郷士・保司に任命しその耕作や徴税を請け負わせるようになる。
4 鎌倉幕府は1185年、源頼朝は、弟の源義経の探索と逮捕を口実に、諸国に➡守護を、荘園や公領に地頭をそれぞれ任命する権利を獲得した。授業プリント14参照。
正解👉地頭
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ア 北条義時ですね!✖︎
イ 消去法で⭕️兵乱の前かどうかは難しい。
ウ 政子恐るべしだ!正文
エ 土御門は土佐に配流された✖︎
オ 授業プリント14に書いてある。山や川の収益の半分は地頭と荘園領主で折半するが見落とされがちなので注意。注意って書いたんだけど。✖︎
⑵後鳥羽上皇が隠岐に流刑
⑶順徳上皇は佐渡に流刑
⑷土御門は土佐に流刑
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鳥羽法皇が皇女に与えた荘園群は、脊髄反射で八条院領。
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授業プリントを見てみよう!
ⅲ半済(1352)荘園公領年貢の半分を兵粮米として守護に与える
鎌倉時代は兵粮米は自前が原則だった。しかし、南北朝内乱期は遠隔地を転戦するため、兵粮米は現地調達にせざるを得ない。
➡観応の半済令(近江・美濃・尾張、1年限り、年貢半分の収納→のち全国、永続化)➡南朝側との戦場に近いのでこの地域
論点
兵粮の確保は軍勢を動員するのに不可欠であり、室町幕府は 守護に対して兵粮確保を保障することにより国内の武士の動員・組織化を進めようとした 。
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東寺ですね!