授業テキストにはこう書いてある
明治初期の対外関係
不平等条約の解消
➊岩倉使節団1871~73➡欧米を視察➡…アメリカで条約改正交渉を打診=失敗(グラント大統領)
廃藩置県の直後、右大臣兼外務卿岩倉具視を大使、大久保利通(大蔵卿)
木戸孝允(参議)伊藤博文(工部大輔)・山口尚芳(外務少輔)であった。役職から人名を答えせる場合もある。
使節団に加わった(久米邦武)その記録が『特命全権大使米欧回覧実記』を現わした。中江兆民(同行してそのままフランス留学、“東洋のルソー”)留学生は女性も含まれ、後に(女子英学塾)を創設した津田梅子や、旧会津藩家老の娘で帰国後に赤十字事業で活躍した(山川捨松)も記憶したい。
なんと岩倉使節団、ドイツでは鉄血宰相と呼ばれた政治家ビスマルクとも会見している。
帰国後、➡日本の遅れを痛感(征韓論と対立)
A
問1 史料の中に英仏を批判しているのオールコックとグラントはない。まあ授業プリントを思い出せば👉ビスマルク(エ)
問2 ②の後ろに続く文章に着目したい。「列国ノ権利ヲ保全スル典常トハイへトモ、大国ノ利ヲ争フヤ…」でわかる👉国際法
問3 。