文学部 解法の研究 第2回過去問から学ぶ


文学部は前近代史の比率が8割を超え、早稲田大の他学部や他大学と比較して、極端に前近代史重視の傾向にある。原始時代から江戸時代に関する学習を怠ってはいけない。Ⅰの考古学・文化財をテーマにした問題とⅥの美術史は文学部不変の傾向なので、このテーマの対策は過去問を解いてしっかりと行っておく必要がある。


Ⅰ先史時代

問1

下線aの内容で(1万年前になってからで、この間に人類は文化と社会の上で、大きな変革を遂げた)、誤っているものはどれか、1つ選べ。

 ア 日本を含めてアジアの各地で農耕文化が営まれるようになった。

縄文・弥生時代中国・朝鮮・日本で農耕文化が始まった○

 イ 多くの地域では、粘土を焼いて土器などの容れ物が製作されるようになった。○

 ウ 環境の状況に合わせて定住生活を営むようになった。○

 エ 首長国や国家などの複雑な社会が成立した。狗奴国や邪馬台国はその証左である。○

 オ 打製石器を使い始めるようになった。

 打製石器は先史時代の旧石器時代のもので、文化と社会の上で大きな変革を遂げるものではない✖︎

誤文→オ 考える問題だな。

 

問2

下線bについて(豊かな精神生活と安定的な生活を営んだことが考古学資料からうかがわれる)、その根拠は何か。正しいものを2つ選べ。

 ア 環濠集落が営まれ、長年にわたる継続的な居住がうかがわれるから。

→環濠集落は外敵から守る役割だから✖︎

 イ 墓が集落の近くに営まれ、墓中から多くの装飾品と奢侈品が出土するから。

→豊かな精神生活と関連はないから✖︎

 ウ 山海の自然な恵みを享受したことが貝塚からの出土物で知ることができる。○

 エ 首長による統括の下に装飾的で象徴的な工芸品が製作されたから。首長による統括が✖︎

 オ 土偶や石棒など精神世界と関わる呪物や儀器が製作・使用され、儀礼や祭祀が活発に行われたから。○

正解→ウ・オ

 

問3

下線cの内容について(弥生時代)、誤っているものはどれか。1つ選べ。

 ア 本格的な稲作農業が営まれた。弥生=稲作普及○

 イ 銅鐸や銅剣、銅矛などの青銅器が製作・使用された。

 ウ 稲の品種において短粒米と長粒米が半分ずつ栽培された。✖︎

 エ 朝鮮半島からの文化の影響がみられた。○

 オ 甕棺墓や支石墓、四隅突出型墳丘墓、再葬墓などが営まれた。○

短粒米とはジャポニカ米で、長粒米はタイ米のこと。日本はジャポニカ米だよ。

 

問4

下線dの内容(紀元前2世紀から紀元【 A 】世紀の「倭人」社会)について、で、倭の最も古い時代について記載した史書はどれか。1つマークせよ。

 ア 「魏志」倭人伝 イ 「漢書」地理志 ウ 「後漢書」東夷伝 エ 「宋書」倭国伝 オ 「隋書」倭国伝

正解→「漢書」地理志が最も古い。

 

問5 下線dに記載された内容(倭人社会)について、誤っているものはどれか。1つ選べ。

 ア 鯨面文身などの入れ墨の風習があった。○

 イ 社会の階層化が発達し、明瞭な身分の上下関係が確立していた。後漢書東夷伝に記されている○

 ウ 統一前の小国が分立し、互いに覇を競い合っていた。○

 エ 邪馬台国の女王卑弥呼は、大人帥升を帯方郡経由で魏に遣使した。大人帥升でなく、大夫難升米である✖︎

 オ 稲作や養蚕が行われたが、牛馬の牧畜は行われなかった。○牧畜が行われたという形跡はない。

正解→エ

 

問6 空欄Aに入る適切な数値は何か。

正解→3世紀

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