早稲田大の入試問題は私大の中で最も難しい部類に属する。市販の問題集で解ける問題は少ない。
では、どうすればよいのか? ①志望する学部の過去問を10年分解いてみる ②そうすると、傾向がみえてくる。
③古代・中世・近世・近現代と全体から出題する文学部を中心に、その傾向を探るのが日本史の勉強をするには適している。④また、頻出テーマがあるので、頻出する分野を徹底補強する。
Ⅰ 7世紀の政治・外交を中心とした問題。飛鳥時代の天皇は頻出テーマ。
第1回 過去問から学ぶ早稲田日本史の勉強法
早稲田大の日本史がどういう傾向を持っているのかを、古代分野から学んでいきます。
NO1 七世紀の政治と外交 法学部2018
NO2 先史時代 文学部2018
NO3 古代の対外関係 商学部2018
NO4 奈良時代の天皇 商学部2015
NO5 七世紀の日中関係 教育学部2010
頻出テーマ 👉Ⅰ 7世紀の政治・外交 法学部2018を最初に解いていこう!
問題プリントは用意できましたか?
問1
あっこれか!と思った人はえらい。えっ!わからないと思った人は、ここで覚えよう!
馬子が蘇我氏の氏寺として発願したのは→(う)法興寺(飛鳥寺)
四天王寺と法隆寺は厩戸王、広隆寺は秦氏の氏寺、中宮寺も厩戸王が開祖だが確証はない。
授業テキストでは→氏寺の建立 氏寺こそ飛鳥仏教のキーワード
⒜飛鳥寺(法興寺):蘇我馬子の発願
⒝法隆寺(斑鳩寺)・四天王寺
→聖徳太子の発願
⒞広隆寺:秦河勝広隆寺の半跏思惟像と中宮寺の半跏思惟像の区別はお団子二つとウルトラセブンで決まり。
舒明天皇創建と伝えられる百済大寺は後に大官大寺となり、平城京造営後は大安寺となった。
問2
厩戸王の子は→山背大兄王。
問3
入鹿が暗殺された宮の名称は→(う)斑鳩宮。
問4
皇極天皇→孝徳天皇→斉明天皇の順番
正解→孝徳
問5
下線d(中大兄皇子は、敗戦後の国土防衛策を取りつつ)として誤っているものを1つ選ぶ。
あ 対馬・壱岐、北部九州などに防人や烽火をおいた。👉教科書に書いてある
い 太宰府の北に水城を設けた。👉同じページに書いてある
う 太宰府の後方にある四天寺山の山頂に大野城を築いた。👉四天寺山ってあったかな?ふと疑問
え 九州北部から瀬戸内海沿いに朝鮮式山城を築いた。👉九州北部は○、瀬戸内海沿い、えっそんな場所でないな
お 朝鮮式山城の造営には、祖国で迫害を受け倭国に渡ってきた新羅亡命貴族が関わった。
ここでピーンときた人は、勉強法がわかっている人だ!
そうです。九州北部から瀬戸内海沿いではなく、大和ですね!教科書を精読することが早稲田受験の王道です。教科書39㌻参照せよ!全部教科書を丹念に読み込めば、難なく解答できる問題です。
問6
空欄B(天智天皇が死去すると、大海人皇子と【 B 】の間で皇位継承をめぐる内乱がおこった)の人物を漢字4字で記せ。
正解→大友皇子
問7
天武天皇の在位中の出来事として正しいものを1つ選べ。
あ 最初の全国的な戸籍である庚午年籍が作成された。
い 身分秩序である八色の姓を定めた。
う 庚寅年籍が作成され、以後、6年ごとの定期造籍の体制が確立した。
え 最初の国史編纂書である『古事記』『日本書紀』が完成した。
お 甲子の宣が出され、急激な国政改革が断行された。
正解→これはもうお約束の部類。
天武=八色の姓だから【い】が正解。
④天智天皇
斉明天皇が661年に没して、天智天皇が668年に即位するまで天皇は空位であった。この間は中大兄皇子の称制であった。
天智天皇の庚午年籍は持統天皇期の庚寅年籍との区別が大事。
天智没で→672✖壬申の乱
○大海人皇子VS✖大友皇子
大海人皇子が美濃に移り東国豪族たちの軍事動員に成功してことを押さえておきたい。
⑤天武天皇
飛鳥浄御原宮で即位した。この時期の政治を皇親政治と呼ぶ。天皇の称号が開始された。伊勢神宮が国家的な祭祀の対象となった。諸豪族の身分秩序を天皇中心に再編成するため「八色の姓」の最上位が真人は覚えておきたい。
富本銭の鋳造では飛鳥池から33枚が発見された。同じく池から天皇号が書かれた木簡も。
問8
下線f以降、天武系の皇統が奈良時代後半まで続く。天武天皇の子で文武天皇の父親である人物を選び、マークせよ。
あ 草壁皇子 い 高市皇子 う 大津皇子 え 舎人親王 お 雄基皇子
正解→草壁皇子が元明天皇との間に、文武天皇を生んだ。山川50㌻系図参照せよ。
問9 問題文は以下の通り。
文武天皇の即位後には、持統太上天皇と【 C 】が主導し、【 D 】を総裁として新たな律令が編纂され、701年に大宝律令として完成した。
空欄Cには、鎌足の子で、後に平城京遷都や養老律令の編纂の中心となった人物が入る。漢字5字で、記せ。
正解→鎌足の子、漢字5字から藤原不比等を導きだせる。
問10
空欄Dの人物を、漢字4字で記せ。
正解→刑部親王。
こうしてみると、今年の法学部は易化しています。教科書を丁寧に読み、授業プリントを暗記していけば満点はとれます。
過去問から学ぶ早稲田日本史→第2回はここをクリック
問
Ⅱ
a明は、外国貿易について、朝貢貿易の形式を踏まえる特定の国と、特定の港でしか貿易を行わない政策をとっていた。
問1
下線aについて。明がとっていた政策の名称を記せ。
正解→勘合貿易。
問2
下線b(b 1429年には北山・中山・南山の3勢力が統一され)。琉球王国を建設した人物の姓名を記せ。
正解→尚巴志。
問3
下線cについて。琉球の日本への入貢を認める一方で、明への朝貢を嫌って勘合貿易を中止した室町幕府の将軍は誰か。正しいものを1つ選びマークせよ。
あ 足利義詮 い 足利義満 う 足利義持 え 足利義量 お 足利義教
正解→足利義持。定番の問題、易しい。
問4
下線dについて。万国をつなぐたよりを意味し、中継貿易で栄えた琉球を象徴した言葉を漢字4字で記せ。
正解→教科書に記載はない。難問。
問5
空欄【 A 】に入る(琉球の都であった【 A 】の外港の那覇は中継貿易を通じて)地名として正しいものを1つ選べ。
あ 今帰仁 い 玉城 う 勝連 え 中城 お 首里
正解→琉球の都は首里と即答したい。
問6
下線eについて(世界的な規模で貿易を展開していたヨーロッパ人も、この中継貿易に参入してきた)。中継貿易に参入してきたヨーロッパ人に関連する事柄として誤っているものを2つ選びなさい。
あ ヨーロッパが アジアを目指したのは、キリスト教の布教拡大というよりも、むしろ香料を直接アジアから入手するため
であった。
い 文之玄昌の『鉄砲記』は、種子島に漂着したポルトガル人による鉄砲の伝来に関連する事情を伝えている。
う