Ⅰ 古代の外交・法制
1 日本書紀では→③伽耶を任那と呼んでいる。
左記の文章参照
2 ① 国博士
3 授業テキストではこう書いた。
公式伝来以前から百済からの渡来人が信仰(仏教私伝という)公式伝来は聖明王が百済から欽明天皇へもたらされた。仏教受け入れの賛成は蘇我稲目で、反対は物部守屋。また538年説の根拠が『上宮聖徳法王帝説』、552年説の根拠が『日本書紀』となる。
正解→④
B
4 ④ 隋書 倭国伝
5 ② 天と通じているのは皇帝のみ。
6 ④ 観勒は唐の僧でなく高句麗の僧
C
7 ② 養老律令
8 701年大宝令が完成すると702年粟田真人・山上憶良が派遣され、717年には吉備真備・玄昉が派遣されているので①が誤文
9 令義解833年(9世前半)に令の解釈を公式に統一した注釈書だから→①
10 弘仁→貞観→延喜で ③
Ⅱ
1 霜月騒動
2 源頼朝について
① 後三年で清原氏一族の内紛に源義家は介入✖︎
② 保元の乱で殺害されたのは為義で頼朝の祖父✖︎
③ 頼家・実朝とも平氏滅亡の戦いには不参加✖︎
④ 頼朝の死後、頼家が将軍となる。親裁を制限して13名の合議制だから✖︎
⑤ 頼朝の二代後は頼経、摂関家将軍である⭕️
正解→⑤
問3
迷わず⑤ 和田義盛
問4
① 評定衆は制定以前✖︎
② 51箇条⭕️
③ 守護や地頭の職権⭕️
④ 紛争を描きケツする基準⭕️
⑤ 尊氏も基本法と位置付けた⭕️
正解→①
問5
④