初期議会・条約改正


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【近代05(2007年・本)初期議会。

1.政府は詔勅により,民党の反対を抑え,予算を成立させた。

2.第1回帝国議会では,自由党の一部が予算成立に協力した。

3.民権派の再結集に対して,政府は超然主義の立場を声明した。

 

【近代05解答】[3213.大日本帝国憲法発布(1889)の翌日,超然主義演説を行ったのは黒田清隆首相。2.第1帝国議会のときの内閣総理大臣は山県有朋(1)1.建艦詔勅により軍事費増に成功したのは第2次伊藤博文内閣。

初期議会 第一議会、第二議会、第2回総選挙の内容が問われるぞ!

議会

首相

事項

 

黒田清隆

衆議院議員選挙法制定1889

25】以上男子・直接国税【15】以上納入者に選挙権

超然主義】…政府の政策は政党の意向に左右されない

山県有朋

1回総選挙1890民党(反政府系)が過半数以上

第一議会

山県首相は軍事費の拡大を要求

民党側は「【民力休養】・【政費削減】主張して反発

政府が民党の一部を買収し、一部予算案を可決

第二議会

松方正義

民党は軍艦建造費の予算削減を主張

政府は軍艦建造費を含む予算案を主張

対立…【樺山資紀】海相の蛮勇演説→予算削減

政府民党の予算削減に同意せず、衆議院解散

 

品川弥二郎】内相らの選挙干渉→民党勢力は覆せず
       第三臨時議会も予算案対立、選挙干渉非難で総辞職

第三議会

松方内閣の退陣

第四議会

伊藤博文

予算削減→【建造詔勅】で予算成立

第五議会

 

条約改正交渉で対立構図が変わる
        政府・自由党(条約調印賛成派)
        改進党・国民協会など(条約調印反対派)

→【対外硬派連合
        解散に次ぐ解散

第六議会

日清戦争勃発により政争中止

 

【近代06(2004年・追)欧米文化の摂取。

1.岩倉具視を全権大使とする遣外使節団が,欧米に向けて出発した。

2.多くの外国人教師を指導者として招き,東京大学が開設された。

3.鹿鳴館が,外国要人接待の社交場として使用された。

 

【近代06解答】[1231.岩倉使節団は,廃藩置県(1871)直後に派遣され,条約改正の予備交渉とともに欧米を視察した。2.東京大学は開成学校と医学校を併合して設立され(1877),西洋の知識を学んだ。3.鹿鳴館は井上外相の欧化政策の中で建設された(1880年代)

【近代07(2001年・本・改)明治期のアジア外交。

1.天津条約が結ばれ,日清両軍の朝鮮からの撤兵などが定められた。

2.日本は江華島事件を機に朝鮮との間で日朝修好条規を結んだ。

3.朝鮮で国王の父大院君が閔氏一族から政権を奪おうとし反乱を起こしたが失敗した。

 

【近代07解答】[2312日朝修好条規(1876)の締結により朝鮮を開国させた。その後,親日開化派の台頭から攘夷派の大院君が壬午軍乱(1882)を起こした。朝鮮の独立党による甲申事変(1884)に日清両国が介入し,日清関係が悪化したが天津条約(1885)で調整した

●条約改正

担当者

首相

交渉内容など

岩倉具視

 

1871~73【岩倉使節団

寺島宗則

 

関税自主権】回復を主眼
          アメリカ賛成、イギリス・ドイツ反対で失敗

井上馨

伊藤博文

欧化主義】政策鹿鳴館の建設、政府部内の反対
領事裁判権の回復、関税自主権の一部回復を主眼
改正草案…回復後、内地雑居・法典整備・過半数の外国人裁判官任用
1866
ノルマントン号事件条約への不満拡大

国内の反発ボアソナード谷千城農商務省

三大事件建白運動】→井上、外相辞任

大隈重信

黒田清隆

領事裁判権の回復、関税自主権の一部回復を主眼
    米・独・露と条約調印
外国人裁判官の任用を大審院に限る」がスクープ
    大隈暗殺未遂で片足を失う→黒田内閣総辞職

青木周蔵

山県有朋

松方正義

領事裁判権の回復と関税自主権の一部回復を主眼
方針転換-外国人裁判官を大審院に任用しないなど
イギリスと交渉妥結…ロシアの東アジア進出に警戒
大津事件】で辞任

犯人の津田三蔵は法律に基づき無期徒刑

陸奥宗光

伊藤博文

1894日英通商航海条約締結】…自由党の支持を受ける
領事裁判権撤廃関税自主権の一部回復、居留地の廃止、
相互対等の最恵国待遇、1899年発効で有効期間は12

小村寿太郎

桂太郎

1911日米通商航海条約】締結

関税自主権の回復に成功

 【近代】2009

日清戦争の講和条約に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

 ① 条約交渉の日本全権は伊藤博文・陸奥宗光であった。

 ② 日本は台湾と澎湖諸島を割譲させた。

 ③ 日本は遼東半島を割譲させたが、のちに返還した。

 ④ 日本は清からの賠償金をもとに官営富岡製糸場を設立した。

●日清戦争

1880年代

朝鮮問題

朝鮮問題
開国後の朝鮮…貿易は日本の輸出超過、米の買い付けで朝鮮国内は米不足
1882
壬午軍乱
 
親日派の閔妃一族に対し、守旧派兵士が大院君を担いでクーデター
 【済物浦】条約後、閔妃派は清とのつながりを強める
1884
甲申事変】 閔氏親日派から親清派に転じたことに注目
  閔妃政権(親清派)と【独立党】(親日派、【金玉均】ら)の対立
   清仏戦争後にクーデター、清の干渉で失敗
   漢城条約(1885、朝鮮)
1885
天津条約】…伊藤博文と李鴻章
     日清両軍の朝鮮撤退、将来の出兵時は相互通告
     日本国内の世論の転換…福沢諭吉の【脱亜論

1890年代

日清戦争

1889防穀令】事件-朝鮮で凶作、大豆・米の対日輸出禁止で打撃
       
賠償金支払いで承認
1894
甲午農民戦争】(朝鮮)
 
東学が農民を率いて大規模な反乱に発展
 清が救援出兵、日本も対抗して出兵
 終了後も両軍が対峙
1894
日清戦争】…豊島沖海戦などで開戦→宣戦布告
       平壌の戦い、黄海海戦、大連・旅順占領、威海衛占領
    戦局…日本の圧倒的優位、政党の政府批判中止、戦費は約2億円

1895下関条約
 
日本側全権-伊藤博文首相、陸奥宗光外相
         清国側全権-【李鴻章
  内容 清国は朝鮮独立の承認、【遼東半島】・【台湾】・澎湖諸島の割譲、賠償金【2億両】(31千万)支払

      沙市、重慶、蘇州、杭州の開港

日清戦争後の議会

2次【伊藤

自由党】と提携、【板垣退助】内務大臣

軍備拡張をめざす政府は政党を無視できなくなったのだ。

2次【松方

進歩党】と提携、【大隈重信】外務大臣

3次【伊藤

地租増徴案提出自由・進歩両党の反発憲政党】の結成

地租を払っているのは地主たちのみ

1次【大隈

初の政党内閣、憲政党与党、大隈外相兼任・板垣内相(隈板内閣

2次【山県

1898地租増徴案可決2.53.3】へ

1899文官任用令】改正政党員が官僚に進出するのを防ぐ

1900軍部大臣現役武官制陸海軍大臣は