文治政治への転換
名君と儒者 ✐藩主と招かれた学者に注意
【2007-追】
前田綱紀について述べた文で正しいのは。
① 徳川家宣の侍講となり、幕政にも参画した。
② 会津藩主で、将軍家綱を補佐した。
③ 木下順庵を招き、学問の振興をはかった。
④ 閑谷学校を設け、教育の振興をはかった。
答➡③
【2005-追】
「17世紀半ば以降、諸藩では、いわゆる名君が儒学者を顧問にして藩政の改革を進めた」に関連して、藩主とその儒学者の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 藩主:池田光政、儒学者:熊沢蕃山
② 藩主:池田光政、儒学者:藤田東湖
③ 藩主:徳川光圀、儒学者:熊沢蕃山
④ 藩主:徳川光圀、儒学者:藤田東湖
答➡①
【2003-追】
徳川綱吉の政治について誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 生類憐みの令を出して、犬をはじめとする鳥獣の保護を命じた。
② 貨幣の質を落とした改鋳を行い、物価の騰貴を招いた。
③ 湯島に聖堂を建てて、学問所として整備した。
④ 側用人として、大岡忠相を重用した。
答➡④
幕府・藩の財政
3代家光までゆとりあり(金山・銀山から算出)
4代家綱➡【 明暦 】の大火 復旧で消費
5代綱吉➡寺社造営:上野【寛永寺】 窮乏
貨幣改鋳➡【荻原重秀】
慶長小判➡【元禄】小判に
差額➡【出目】で幕府収入➡一時的に物価高騰