ヘーゲルはフランス革命に共感し、ナポレオンを「馬の上に乗った世界精神」と言ったほどだ。しかし、革命が恐怖政治に陥ったことをうけ、カントの思想を個人の内面的な道徳の立場にとどまっていると批判し、人間の在り方を社会の法や制度として客観的に実現する人倫について考えた。カントとの違いが何か?は狙われる点である。
何をかくそう、大学3年時はヘーゲルの「精神現象学」を原書で読みこむ授業をとっていた。いやーわからなかったな!が正直な感想。わからないがわかったつもりでいて、わからないから不安だからジャズ喫茶へ!瞑想していたな!
そんな逃避が定番だった気がする。今日はヘーゲル、あの頃を思い出して、気合を入れて話をしよう!
後の西洋思想に大きな影響を与えたカントから始まる。
カントとの比較
カントの思想は、理性というものを自己の内面の世界でとらえているものだ。
リンリン倫理 第2講 ヘーゲル
ポイント1カントの批判
過去問を分析すると見えてくる。カントとの違いがどこにあるかが頻出だ!
カントの唱える理性は、理論理性も純粋理性も自己の内面世界でしかとらえられないものだ。
「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」というコペルニクス的転回も、ヘーゲルに言わせると『理性はそのような抽象的な世界においてとらえられるものでなく、もっと具体的な現実世界との関係でとらえられるべきものだ』となる。
著名な言葉『理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である』
ナポレオンの登場をまじかに見たヘーゲルは、現実に大きな理性を見たのでしょう!
何をしてよいか、何をしていけないのかを判断する理性は、現実の中で育まれてきたものだということ、私たち自身、このヘーゲルの考えに異存はないのでは?
ポイント2 弁証法
弁証法こそ、かつて私たちの若き頃を魅了した考えだ。ヘーゲルは世界のすべてのものは、矛盾・対立を繰り返して変化・発展していくと考えた。その考えを弁証法という。弁証法では、ある原理(正)は、それを否定し対立する原理(反)と対立することによって、より高い次元(合)へとアウフヘーベン(止揚)し発展すると考える。
過去問にTRY!
2003-追
後の西洋思想に大きな影響を与えたカントの思想は、様々な思想家から批判も受けた。ヘーゲルが行ったカント批判として最も適当なものを、次の①~③の批判のうちから一つ選べ。
道徳の問題は、対話的理性に基づく共同討議によって論じられるべきだが、カントの場合、合意という要素が考慮されていない。
知性を行動の道具と見なす立場からすると、道徳の場合も行動の結果を評価すべきなのに、カントは動機の良さだけを重視している。
道徳は、法律や制度という形で社会の中に具体的な拠り所をもつべきだが、カントの道徳は個人の内面にのみ委ねられている。
正解→
2007-本
人倫に関して、ヘーゲルの思想として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
婚姻は男女両性の間の法的な契約であるから、男女の愛情における本質的要素ではない。
市民社会は、法によって成り立つとしても、経済的には市民たちの欲望がうずまく無秩序状態である。
国家は、市民社会的な個人の自立性と、家族がもつ共同性とがともに生かされた共同体である。
世界共和国のもとでの永遠平和は、戦争はあってはならないという道徳的命令による努力目標である。
正解→
ポイント1 社会主義
社会主義とは、労働者中心の搾取のない平等社会を作ろうという考え。図解するとこうなる。
社会主義は過渡期の社会であって最終的には共産主義社会、そこではすべての労働者が共生する真の平等社会がある。
ポイント1 資本主義とは何か!
マルクスによると、資本主義は不平等を助長させるシステムだ!ということ。いつも低賃金で汗水たらして働くのは私たちだ!しかしそれによって一番儲かっているのは、資本家(社長)だろう。資本家は金持ちだから資本家。その金持ちはさらに金持ちになる。資本主義は確かに、貧富の差を拡大する。そこでマルクスは、社会主義国家、そして究極の理想である共産主義国家の実現を模索した。
ポイント2 唯物史観
マルクスは資本主義が抱える問題が歴史上繰り返されてきたと考えた。古代において働いてきたのは奴隷だけどその労働を搾取してきたのは主人だ。中世において働いたのは農民だが、その労働によって得られた生産物を年貢と称して奪ったのは領主だった。近代の資本主義社会においては労働者と資本家の関係と同じになる。マルクスはこれを生産力と生産関係の矛盾とよんだ。
マルクスは、歴史を動かすのは人間の意識ではなく、人間の物質的な生産活動であると説いた。こういうマルクスの歴史観を唯物史観という。
図解するとこうなる。