室町~江戸時代の村落

 

 2007年 設問番号 第1問

次の文章を読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問3まですべてで400字以内)

 

 弥生時代以降近代以前の日本においては,農・林・水産業などの第一次産業が基幹産業としての位置を占めていた。しかし,それらに従事する人々がつくる社会のあり方は,その間ずっと不変だったわけではない。
 中世後期になると,農業生産力の発展に支えられて,(1)農民たちは惣村という自治的な村をつくり出すようになった
 こうした状況をふまえて,豊臣秀吉は(2)太閤検地によって土地の面積・石高などを把握し,村を基礎単位とした支配・行政を実施した。その結果,村は,全国的に,近世を通じて,百姓の生活・生産の単位であるとともに,(3)領主の年貢収納をはじめとする支配・行政の単位として機能し続けることとなった。

 

問1 下線部(1)に関して,惣村がそれまでの農業集落と異なる点を3点あげて説明しなさい。
問2 下線部(2)に関して,惣村が太閤検地によって変容した点を2点あげて説明しなさい。
問3 下線部(3)に関して,近世の村における年貢収納の仕組みを何というか。その名称と内容について述べたうえで,それと中世の惣村における年貢収納の仕組みとの関係について説明しなさい。

 

 

農民が荘園の境界をこえて地域的な団結を強め、領主の不当な要求を拒否する村落を惣村という。

鎌倉時代までの村落との違いを見てみよう。

 

 

 

【解答例】