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明治十四年の政変について、この前提となった諸条件、政変の内容、およびその影響を、200字以内で総合的に論ぜよ。
何か書けばいいか!
ア 政変の前提となった諸条件
イ 政変の内容
ウ 政変の影響を200字以内で書くこと である。
山川教科書255ページに書いてある。そことその前のページで前提条件が何であったかを考えてみると、国会開設要求の盛り上がりと私擬憲法がある。
そこで
国会開設要求が全国的に高まり、民間では私擬憲法の作成が進むなか、政府部内では大久保利通が暗殺され、強力な指導者を欠いていた。国会開設時期や憲法構想をめぐって紛糾していたのである。そこに北海道開拓使官有物払下げ事件がおこり、藩閥批判が強まった。政府は払下げを中止し、国会即時開設・イギリス流の議院内閣制を主張する大隈重信を罷免すると共に、国会開設の勅諭を発して明治23年の国会開設を公約した。その結果、伊藤博文を中心とする薩長藩閥政府が主導権を確立し、君主権の強い立憲君主制の樹立に向けて準備が始められた。
これは山川教科書255㌻をまとめると書ける。
明治十四年の政変 その背景と動き
駿台予備校 塚原先生の問題をとりあげてみました。
愛国者が再興され、国会期成同盟が結成されて国会開設の機運は盛り上がっていった。政府は集会条例により弾圧を加えた。明治十四年の政変については、下記の基礎知識が前提となる。空欄に適語を記せ。
H 同年には愛国社が再興され,豪農たちの支援を受けた全国各地の政社も活発に活動し,1880年には【A 】が結成された。【A】は,河野広中・片岡健吉らを中心に国会開設請願の署名運動を進めたが,政府は1880年集会条例を発令して弾圧を加えた 。
I 政府内部でも参議【B 】が国会の早期開設を主張し,伊藤博文らと対立した
J 1881年【C 】事件で薩摩出身の参議【D 】と政商【E 】の癒着が露見すると,世論の政府攻撃は一気に高まった。
K 事態対処に当った伊藤らは払い下げを中止し,参議【D】を政府から追放した。そして【F 】年に国会を開設することを約束して危機を回避しようとした(明治十四年の政変)。
L 国会開設の時期が約束されると,国会期成同盟を中心に【G 】党が結され,【H 】は【I 】党を結成した。これに対して,政府も福地源一郎らに立憲帝政党を作らせた。
M どのような国会にするかを明確にする必要が広く自覚されはじめ,交詢社の
私擬憲法案,立志社の日本憲法見込案,植木枝盛の【J 】,東京五日市の民権家による五日市憲法など,多数の憲法草案が民間で作成された。こうした憲法草案【K 】という。こうした基本知識を知っていれば、明治十四年の政変は難なく書けると思う。
この講習では山川の教科書だけで答案を書けるように指導している。同時に図解を使った答案作成も指導している。
日本近代史 坂野潤治著 近代史、昨年度NO1の面白さです。ちょっと西郷に肩入れしすぎの感もあり。