予想問題
テーマ 金解禁と金輸出再禁止
金輸出再禁止について、次のア〜エの語句を用いて論述せよ。解答文中,これらの語句には下線を付せ。ただし,語句使用の順序は自由とする。400字以内で解答せよ。
ア 世界恐慌 イ 緊縮政策 ウ 金輸出解禁 エ 金輸出再禁止
解法のヒント
なぜ金輸出解禁が必要とされたのか!
金本位制とは何かを理解したい。
金本位制とは紙幣(通貨)の価値が一定量の金で定められ、同額の紙幣と金とが交換できる制度のことである。金との交換が可能な紙幣を兌換紙幣、できない紙幣を不換紙幣。日清戦争に勝利したあと、1897年の貨幣法によって
「金2分(0.75g)=1円」と定められ、金本位制が確立した。
現在の日本は、金本位制からは離脱して管理通貨制度が採用されている。
では、どうして金本位制を採用したのか?
⑴紙幣の価値が金によって保証されていること 金と交換できるから紙切れにはならない。
⑵為替が安定する。各国が金本位制を採用し、それぞれの紙幣が金で結ばれていれば、円もドルも金の量で額が定められているから、為替は安定する。外国の車を購入する場合を考えればわかる。貿易などでは金で決済することも可能なのだ。
⑶金本位制の自動調節作用がある。
日本の輸入超過➡日本はアメリカへの支払いのため金保有量が減る、それに応じて紙幣発行量を減らす。金本位制では「紙幣発行量=金保有量」が原則だから。
紙幣発行量が減るということはデフレだ!物が売れないのだから物価は下落する。物価が下落すれば、日本のモノが安いので輸出が増える。同時に円安にもなっているのだ。こうして貿易の均衡が回復する。この自動調節作用に期待をかけたのが井上準之助だ。
井上財政
こうした経済状況を改善するために金輸出解禁が実施された。しかも、旧平価で断行された。これが失敗だった。つまり金輸出を禁止した時点での為替レート、100円=49.85㌦に戻すというものです。この時点で円は信用を失って価値が下落しており、金解禁の直前には100円=46.5㌦前後と円安の状態でした。
ですから、旧平価の100円=49.85㌦で解禁すれば、実質的な円高となり、輸出は減少して当然となる。井上は「円の信用を落としたくない」という理由から、金の自動調節作用が働いて輸出が回復すまで我慢する道を選んだのです。また、金流出を助長することによって通貨の縮小を図り、日本経済を深刻なデフレに落とし込むという目論見であった。それゆえ、金輸出解禁を補完するため、財政面では緊縮政策が進められていたのである。
このように、経済界の抜本的整理を促進するため、通貨の縮小とデフレを引き起こすことを狙って金輸出解禁が実施されたため、日本経済は深刻な不況に陥った。
ただ、タイミングが悪かった。前年1929年10月ニューヨーク・ウォール街の株価の大暴落をきっかけに、未曾有の世界恐慌に突入したのです。会社が倒産するかもしれない不安の中、輸出が伸びるはずがありません。
特にアメリカ向け輸出の生糸はまったく売れなくなり、価格は半額以下に下落、農家に大打撃を与えました。また、円高の状況下に輸入も増加して金が海外に流出、世界恐慌は、自動調節作用がはたらく前に日本経済を昭和恐慌に陥れてしまったのです。
整理➡井上財政 このキーワードを暗記することが肝要
〔前提〕通貨の膨張➡経済界の整理の遅れ=工業の国際競争力不足
〔政策〕金輸出解禁(旧平価で実施)・緊縮政策➡経済界の抜本的な整理を促進
〔影響〕事実上の円切り上げに伴う不況+世界恐慌の影響➡昭和恐慌
高橋財政
以上のような井上財政は、満州事変の勃発とそれに伴う軍事費の増大、イギリスの金本位制離脱とそれに伴うドル買いの横行によって破綻した。そして1931年12月、犬養内閣(蔵相高橋是清)は、組閣と同時に金輸出を再禁止し、同時に円の兌換も停止して金本位制から離脱し、管理通貨制度へ移行した。その下で昭和恐慌から脱出するための諸政策を実施していくのである。
まず、円為替相場の大幅な下落に対して放任の態度でのぞみ、低水準に安定させる低為替政策をとった。輸出増進を狙ったのである。さらに、日本銀行引受けによって大量の赤字国債を発行して財源を確保した上で、軍事費を増大させるなど積極政策を展開した。政府の積極的な財政支出によって景気を刺激しようとしたのである。
この結果、経済界は活気づいた。昭和恐慌の下で産業合理化が進展したこともあり、綿織物を中心として、低為替を利用して輸出が増大した。さらに、軍需に支えられて重化学工業が発達した。そして、1933年頃には他国にさきがけて恐慌以前の生産水準を回復することになったのである。
高橋財政のキーワード
〔前提〕昭和恐慌、満州事変とイギリスの金本位制離脱による井上財政の破綻
〔政策〕金輸出再禁止➡恐慌対策:積極政策と低為替政策
〔影響〕軍需を中心に重化学工業の発達+綿織物など輸出増加➡恐慌からの脱出
1930年から国共内戦が始まる。蒋介石による共産党の根拠地を包囲し兵糧攻めにする作戦が成功する。たまりかねた共産党は1934年長征を敢行する。
第2回 論述演習 一橋大
次の文章を読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問4まですべてで400字以内)
1931年9月18日、関東軍は、奉天郊外の柳条湖において満鉄線を爆破し、これを中国軍の仕業として軍事行動を開始し、⑴満州事変を勃発させた。そして、1932年、傀儡国家である「満州国」が捏造された。「満州国」承認に消極的であった犬養毅内閣が五・一五事件で倒れ、憲政の常道が終焉すると、斎藤実内閣が日満議定書を締結して満州国を承認した。これに対し、翌1933年、国際連盟は、「満州国」が傀儡国家であることの認定と、「満州国」承認の撤回を日本に求める勧告案を採択したので、日本は国際連盟からの脱退を通告し、国際的孤立の道を歩んだ。
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突したが、この戦闘を、第1次近衛文磨内閣は全面的な⑵日中戦争へと拡大させた。同年12月、日本軍は国民政府の首都南京を占領したが、中国軍が徹底的に好戦したので戦争は長期化した。
1939年、ドイツがポーランドに侵攻すると、英仏がドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まった。これに対し、阿部信行・米内光政両内閣は欧州戦争不介入方針で臨んだが、新体制運動を進める近衛文磨の再度の組閣を望む陸軍は、米内光政内閣を退陣に追い込んだ。
1941年12月8日、日本軍の奇襲によるマレー半島と真珠湾攻撃によりアジア太平洋戦争が勃発した。緒戦に勝利した日本軍も、1942年のミッドウェー海戦の大敗によって制空権・制海権を喪失し、1944年、サイパン島全滅で絶対国防圏の一角が崩れ、東条英機内閣は崩壊した。1945年4月、米軍は⑶沖縄本島に上陸し、8月、⑷原子爆弾を投下した。そして8月14日、鈴木貫太郎内閣はポツダム宣言の受諾を連合国に通告した。
問1 下線部⑴の満州事変の背景となる国際情勢について、日本帝国主義にとっての満州の軍事的・経済的「重要性」をふまえて述べるとともに、なぜ関東軍が、この時期を好機と判断して軍事行動を起こしたかを説明しなさい。
問2 下線部⑵の日中戦争を起こした第1次近衛文麿内閣が、南京攻略後に行った対中国政策の推移を説明しなさい。
問3 下線部⑶に関連して、米軍の沖縄本島上陸に際し、守備隊が水際作戦をとらず攻撃しなかった意図を含め、沖縄戦の実相について、日本軍の行動を中心に説明しなさい。
問4 下線部⑷に関連して、米大統領トルーマンが日本に対する原爆投下を命じた意図について、「戦争の終結を早め、連合国の将兵の生命を救うため」と称する名目を除いて説明しなさい。