中・近世の農村と農政


【解法のヒント】

主題:中世後期の畿内やその周辺部の農村において、鎮守社の祭礼はどのような人々によってとり行われおり、また鎮守社はその村にとってどのような存在であったか、具体的に説明する。

鎮守社の祭礼は、上層村民から選ばれた宮座と呼ばれる集団によってとり行われていた。また、一揆に際しては、その連帯感を強化して一味同心の状態になるには、一味神水とよばれる儀式を行うのが一般的であった。これをまとめる。

主題:近世初頭に村民が得た権利、それにともない発生した義務について説明する。

「豊臣秀吉の時代」と「江戸時代初頭」とが下線部で併記されていることから、ここで問われているのが織豊政権を含んでいることが読み取れる。

太閤検地により一地一作人の原則が確立したことで、複雑な荘園制の重層的土地の権利関係が一掃され、村民は初めて田畑の所有権が認められることとなった。しかし、一方で村民は、その所有石高に応じた年貢・諸役の負担を課せられて納税の義務を負うこととなった。

主題:18世紀後半に起こった飢饉に対して、老中の主導により進められた農村復興策の内容について説明する。

18世紀後半と老中の主導から、天明の飢饉後に行われた寛政の改革による農村復興策であることがわかる。

囲米・社倉・義倉、公金の貸付、出稼ぎの制限や旧里帰農令が説明されていればよい。

主題:江戸時代中期から後期にかけて、世襲であることの多かった村役人を入札という投票で選ぶような村が現れるが、その経済的・社会的背景について説明する。この時期の農村における貨幣経済の浸透を想起したい。

→この時期、村役人の名主・庄屋の中には、地主手作すなわち、零細農民を年季奉公人などとして使役しておこなう地主経営を行う者も現れた。また、手持ちの資金を困窮した百姓に利貸して村の内外で質にとった田畑を集めて地主に成長し、その田畑を小作人に貸して小作料を取り立てた。ここは山川教科書221㌻参照。貨幣経済に巻き込まれる小百姓や小作人の実態が説明されているので、ここを参考に取り組むとよい。