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3年1学期日本史 中間解答用紙2018.pdf
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1 外圧と開国


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N01 列強の接近2018.pdf
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列強の接近と幕府の対応

《近現代史2018》 Kenjiishida.jimdo.com

  →歴史の流れを試験前に暗記するのに役立つ、要点を書き込む

NO1 幕末の外交17921860

 

列強の接近

幕府の対応

田沼時代

1778(安永7)露船、蝦夷地 厚岸 に来航→厚岸は地図で確認

1783(天明3)工藤平助『赤蝦夷風説考』

[露との交易・蝦夷地開発計画]

田沼を触発(俵物)

1786(天明6)最上徳内ら蝦夷地探検(択捉島に「大日本恵登呂府」の氷柱を立てた。

松平定信

1792(寛政4)ラクスマン(露)根室来航(エカチェリーナ2世)

大黒屋光太夫ら(伊勢の船頭)を送還した記録は桂川甫周北槎聞略』として残されている。

1792林子平『海国兵談』

『三国通覧図説』発禁

1798(寛政10)近藤重蔵蝦夷地探検👉大日本恵土呂符の標柱立てる(択捉島)

1799(寛政11東蝦夷地直轄

1800(寛政12伊能忠敬蝦夷地測量

文化・文政期

1804(文化1)レザノフ(露)長崎来航→どこに来たかが重要!

 滞在6ヵ月 通商要求拒絶

部下が樺太・択捉などを攻撃

 

1808(文化5フェートン号事件(英)

 ↓長崎奉行(松平康英)自害
 以後、英船による掠奪行為がしばしば発生

 

 

 

1828(文政11シーボルト事件

高橋景保『蛮書和解御用』地図持ち出し

 

 

1806(文化3)文化の憮恤令

1807(文化4全蝦夷地直轄 

 

 

1808間宮林蔵(間宮海峡発見)

1811(文化8ゴローウニン 事件(露)

   ↓ 『日本幽囚記』

1813(文化10高田屋嘉兵衛(淡路の商人)と交換

 

1825(文政8異国船打払令 

 

天保期

1837(天保8)モリソン号事件(米)

浦賀に来るが撃退される

 

 

 


1840〜42✖アヘン戦争

        (清の敗北)

1842南京条約  

 清が香港を割譲

1846:ビッドル、浦賀来航(米)

 モリソン号事件に対する幕府の政策を批判

1839蛮社の獄幕政批判

尚歯会渡辺崋山高野長英)処罰

崋山慎機論長英戊戌夢物語

 

 

1842(天保13天保の薪水給与令

 

 

👉入試の要点

誰がどこにやってきたかが最も頻出する。

工藤平助は著書が出る!「赤蝦夷風説考」絶対だね。老中→田沼意次の時代、重商主義政策を採用する田沼が

 

 

A.開国とその影響

    国内

 イギリス・アメリカ

   ロシア

老中: 阿部正弘

京都の朝廷に報告するも、孝明天皇は攘夷論者。阿部は諸大名に意見を求める。これで権威失墜。

 

1853 ペリー 浦賀 来航

旗艦→サスケハナ号

琉球を経て浦賀に来航

アメリカ大統領フィルモア

の国書持参


1854 ペリー再来航

旗艦→ポーハタン号

1853プチャーチン

長崎に来航

 

1854下田に来航し

 日露和親条約締結

【日米和親条約の要点】

①内容⒜燃料・食料の供給⒝難破船・乗組員の救助⒞下田・箱館の開港

②アメリカと国交関係を結ぶ

 ⑴ 下田(静岡県)箱館(北海道)の2港を開き、日本が薪・水や食糧提供

→同和問題が何故北の箱館にあるのか!→

 ⑵ただし、自由な貿易は行わない

③他国の外交官(領事)が日本に常駐する体制が始まる。

④アメリカに対してだけ最恵国待遇を認める(日本はなし)。

⑤ 領事裁判権の規定は日米修好条約である。ここでは領事の 駐在だけ

史料研究 日露和親条約


《史料研究:日露和親条約1854全権:川路聖謨

今より後、日本国と魯西亜国との境はエトロフ島とウルップ島との間に在るへし。エトロフ全島は日本に属し、ウルップ全島夫より北の方クルリ諸島は魯西亜に属す。カラフト島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす。

安政の改革・幕政の動揺


B.安政の改革

1.人材登用 

川路聖謨(勘定奉行・外国奉行)→日露和親条約

岩瀬忠震(条約勅許を得るため堀田とともに上京)→日米修好通商条約

永井尚志(外国奉行・軍艦奉行)

井上清直(外国奉行・軍艦奉行)

 *徳川斉昭(水戸)幕政参与

2.軍制改革と近代化政策

1855(安政2)洋学所→56蕃書調所→洋書調所→63開成所

→教官の西周・津田真道がオランダ留学

1855海軍伝習所(長崎)

→オランダの士官が勝海舟・榎本武揚らを指導

1856(安政3)講武所(江川築地) 武術の訓練所(洋式)西洋砲術

江川英竜(太郎左右衛門)品川沖に台場(砲台)設置

→伊豆韮山の代官 韮山に反射炉築造

1853.大船禁止令廃止

    寛永の武家諸法度(1655)で500石以上の大船建造を禁止「鎖国令」

    長崎造船所着工

C.幕政の動揺

*ペリー来航→朝廷に報告・諸大名・幕臣に諮問→朝廷・雄藩の発言力増大

1.将軍継嗣問題(13代将軍家定の後継問題)

*一橋派(雄藩連合派)

難局打開に際し、賢明な人材を求めて一橋慶喜(前水戸藩主徳川斉昭の子)を推挙

 徳川斉昭・ 松平慶永 (越前福井藩主) 島津斉彬 (薩摩藩主)

*南紀派(幕府独裁派)

血統の近い幼少の紀伊藩主徳川慶福を推挙

   井伊直弼ら譜代大名

条約勅許問題

2.条約勅許問題

1856.10.21 ハリス (米総領事)下田に着任→通商条約を要求(老中首座 堀田正睦


アロー戦争 での清の敗北を告げ、英への対抗上、米との通商条約の利を主張

→堀田正睦、朝廷に条約勅許を求める←孝明天皇拒否1858.3.20

→江戸に帰還途中解任

 → 井伊直弼 大老就任

  →日米修好通商条約無勅許調印(6.19

  →徳川慶福を14代将軍(家茂)に決定(6.25

過去問研究1  天明期の出来事 早稲田(文)2017

天明期に起きたこととして正しいものはどれか、1つ選びなさい。

 ア 工藤平助が『赤蝦夷風説考』を田沼意次に献上した。

 イ 水戸藩で徳川斉昭が弘道館を創設した。

 ウ 江戸ではじめて打ちこわしが起きた。

 エ イギリスの軍艦フェートン号が長崎に侵入する事件が起きた。

 オ ロシア使節のレザノフが日本との通商を望むロシア皇帝の親書をたずさえて、日本

   に来航した。

【解答と解説】正解→ア。赤蝦夷風説考は工藤平助が田沼に献上だから、田沼時代が天明期。

3 近世の外交 早稲田(法)2010

1 江戸時代のロシア使節の来航順として正しいものはどれか。1つ選びなさい。

 あ レザノフ   →ラクスマン  →プチャーチン

 い ラクスマン  →レザノフ   →プチャーチン

 う プチャーチン →ラクスマン  →レザノフ

 え ラクスマン  →プチャーチン →レザノフ

 お レザノフ   →プチャーチン →ラクスマン

【解答と解説】

正解→い。プチャーチンがポイント。1792年、ラクスマンが大黒屋光太夫をともなってやってくる。