昭和の過去問  戦後史Ⅰ 

NO1  1980年代以降の経済と政治 早稲田(商)2016

 1980年代後半以降、輸入よりも輸出が超過する状態が定着した日本経済は膨大な【 a 】をため込んでいたが、19859月の「プラザ合意」による急速な円高は、輸出型の産業に大きな打撃を与えた。輸出型産業を中心とする不況により、国内の設備投資はあまり進まなかった。政府や日本銀行は、この不況に対処するため、【 b 】主導型の経済を促し、公共投資の拡大や超【 c 】政策を実行した。それらの結果生じた余剰資金の投資先に困っていた企業や銀行などの金融機関は、土地や株式を投機的に購入し、返済可能性が高くない企業にも積極的に資金の貸付を行った。こうして、不動産市場や株式市場に大量の資金が流れ込み、地価や株価が投機的に高騰するという、いわゆるバブル経済がしばらくの間、続いた

 バブル経済によって、資産や所得の格差が拡大したため、政府や日本銀行は、土地への融資の規制や金利の引き上げを行った。そのため、地価や株価は急激に下落し、投機を行った企業の一部が倒産し、借りた資金を返済できないという金融機関の不良債権問題が起こり、実体経済の不況に波及した。各企業は、この不況を乗り切るため、事業の整理や海外展開、また大量の人員削減を行った。政府による種々の規制やコスト高を嫌った企業は、主にアジア諸国に工場を移転し、そのことによって国内産業の一部が衰退するといった、産業の【 d 】現象が起こり、日本企業の多国籍化が急速に進んだ。また政治的に見ると、バブル経済の頃は汚職事件が頻繁に起こり、内閣が次々に代わった

 

A 空欄aに該当する語句を漢字4字で記せ。貿易黒字 これは難問★★

B 空欄bに該当する語句を漢字2字で記せ。内需

C 空欄cに該当する語句を漢字3字で記せ。低金利

D 空欄dに該当する語句を漢字3字で記せ。空洞化

E 下線部に関する記述として誤っているものを1つマークせよ。

 1.この合意は第一次中曽根内閣の時になされた。

 2.この合意に関する会議の参加国は、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツで

  あった。

 3.この合意の名称は