文学部2009 解答と解説


Ⅰ 古代の外交・法制

1 日本書紀では→③伽耶を任那と呼んでいる。

 左記の文章参照

2 ① 国博士

3 授業テキストではこう書いた。

公式伝来以前から百済からの渡来人が信仰(仏教私伝という)公式伝来は聖明王が百済から欽明天皇へもたらされた。仏教受け入れの賛成は蘇我稲目で、反対は物部守屋。また538年説の根拠が『上宮聖徳法王帝説』、552年説の根拠が『日本書紀』となる。

正解→④

B

4 ④ 隋書 倭国伝

5 ② 天と通じているのは皇帝のみ。

6 ④ 観勒は唐の僧でなく高句麗の僧

C

7  ② 養老律令

8 701年大宝令が完成すると702年粟田真人・山上憶良が派遣され、717年には吉備真備・玄昉が派遣されているので①が誤文

9 令義解833年(9世前半)に令の解釈を公式に統一した注釈書だから→①

10 弘仁→貞観→延喜で ③

 


中世の政治・文化


1 霜月騒動

2 源頼朝について

 ① 後三年で清原氏一族の内紛に源義家は介入✖︎

 ② 保元の乱で殺害されたのは為義で頼朝の祖父✖︎

 ③ 頼家・実朝とも平氏滅亡の戦いには不参加✖︎

 ④ 頼朝の死後、頼家が将軍となる。親裁を制限して13名の合議制だから✖︎

 ⑤ 頼朝の二代後は頼経、摂関家将軍である⭕️

正解→⑤

問3

 迷わず⑤ 和田義盛

問4

① 評定衆は制定以前✖︎

② 51箇条⭕️

③ 守護や地頭の職権⭕️

④ 紛争を描きケツする基準⭕️

⑤ 尊氏も基本法と位置付けた⭕️

正解→①

問5